深く暗い海底に沈み

精神的に落ち込んだときの記録

景色をともに 3


 木の陰が長く濃くなってきたある日、目をさますと隣に彼が座っていた。わきにビール瓶を置いて本を読んでいた。ぼくは何かわるいことをしたような気がして急いで立ち上がって授業に行こうとした。すると彼は、

「どこの出身ですか」

 と聞いた。ぼくはおどろき振り返って、

「あ、田舎、です」

 とっさにそう言った。

「おれもですよ、隣りの県の〇〇っていう、田舎」

「あ、ぼく、△△です。〇〇の隣りの」

「そうなんだ、じゃあもう友だちだ」

 彼は瓶をかかげて、

「明日も来るわ、よろしく」

 そう言って本に視線を落とした。

 うたたねのあとの突然の出来事に胸をどきどきさせながら、どうして友人なのだろう、酔っぱらっていたのか、明日は土曜日だから休みじゃないか、やっぱり酔っぱらっていたのだろう、と、教授の話もそこそこに、さきの出来事を頭にとどめないように適当な理由をくっつけて処理した。

 けれども週明け、ふだん会話をすることが少ないからだろう、ぼくの頭は彼との会話をしっかりおぼえていて、ぼくは遠くから一度ベンチに彼がいないことを確かめてからいつものようにお弁当を食べ、まぶたにのびやかな光景を見た。しばらくして隣りに気配を感じて目を開くと、足を組んで本を開く彼がいた。ビール瓶は二本あった。

「あ、起きた?あげるよ、それ」

 彼は本に目を向けたまま言った。

「うまいんだよ、それ。叔父が作ってるの。だから、飲み放題ってわけ」

 ぼくはことりのさえずるのを聞いて、

「あ、はい」

 と声に出した。

「じゃあ、また明日」

 彼は本とビール瓶だけを手に歩いていった。

 次の日もまたその次の日も、目を開くと隣りに彼はいて、あ、起きた、とだけ言って、ビール瓶を置きみやげのようにして去っていった。ビール瓶が冷蔵庫を占拠しても、ぼくが彼のことについて知っていることは、彼の叔父がビールを作っているということだけだったけれど、ことりや蜂がいるもっと奥のほうからひそやかに聞こえてくる、彼の本をめくる音をゆめうつつにも好ましいと感じていることは、自問するもまでもないことだった。