深く暗い海底に沈み

精神的に落ち込んだときの記録

すみか 5


 私は飲み終えたグラスを返し、二杯目を頼んだ。彼女はそれを注ぎながら、

「一緒に飲みませんか?」

 と言った。

 少しの酔いを感じる頭で描いた世界に彼女が登場したことが、私を二杯目へと導いたのは確かだった。私はそれでも、

「お仕事は…」

 と口にした。

「もうあがりなんです」

 と言って少しだけ頬を持ち上げた。私が思い描いたやり方と同じだった。

「もしよろしければ」

 彼女はまた少しだけ頬を持ち上げて、雫の耳飾りを揺らした。

 私は誰もいなくなったカウンター席に腰掛け、グラスの滴る水滴を撫でた。彼女はサイダーを片手に私の隣に座り、

「じゃあ」

 と言ってグラスを掲げた。

「乾杯」

 私たちは静かな音を鳴らした。

 隣同士のために耳飾りが見えないのを少し残念に感じながら、カウンターに置かれた、白くて細い、血管の透けた彼女の腕を見つめた。私のそれと似ている気がして私も腕を伸ばした。彼女のほうがより細くて頼りなく映った。髪や肌からすると同い年くらいなのだろうと思ったけれど、音のない所作に大人びた雰囲気を感じた。

「昨夜、珍しいことがありました」

 静かな声だった。

「池のほとりの友人を、見つけられませんでした」

 彼女は前だけを見つめて話した。私はだから自然と彼女の横顔を見つめた。口紅の引かれていない薄い唇は、無垢な艶を帯びているように見えた。

「彼はこの一ヶ月ほど、毎日欠かさずそこにいました。一つしかない常夜灯の下で、何かを編んでいました。その何かを編み終えたのか、彼は昨夜、そこにはいませんでした」

 淡々とした調子に哀しみの色はなく、異国の童話を朗読するように、一音一音を掬うように話した。

 彼女の瞳に映る彼を覗いてみたいと思ったけれど、彼女はグラスに口をつけ、それからすっかり口を閉ざしてしまった。彼女はそれでも同じように前を見つめ続けた。彼女の前にはどこかの景色が広がっているのだろうと感じ、彼女の細い身体に溜め込まれたものを、私に向けられていない瞳から知りたいと思った。彼女の動かない唇はけれど私を安心させた。