深く暗い海底に沈み

精神的に落ち込んだときの記録

みしお 4

 二時五十分。

 ズボンも下ろさずそのまま便座に腰掛けた。少し、温かい。勢いをつけ起き上がったことで、また頭がくらくらとする。ここで眠ってしまってもいいか、そう思った。

「奏太じゃん」

 独り言ちた。

 このまま寝てしまえばお母さんが起こしに来てくれるかなあ。思ったけれど、そんなわけはない。ここにはもう、いないから。

 時計がぼやけて見える。長針が短針に少し近づいている。私はのろまで置いていかれている、そんな気がする。感傷的になり過ぎか、酔っ払いめ。

「お姉ちゃん?起きてる?」

 扉の向こうで声がした。

「奏太じゃないんだから寝ないわよ」

 鼻を啜り言い返した。

「開けるよ?」

「なんでよ、起きてるって」

 私は立ち上がりノブに手を掛けた。目の前が真暗になった。立ちくらみか。慣れたもんだと動くのを止めた。ノブを持つ手がけれど引っ張られた。よろめいて冷たいものにぶつかった。大切な匂いがした。

 ああ、この感じ。

「あ、ごめん。大丈夫?」

 お父さんの声がした。

「お姉ちゃん、また酔っ払いさんだよ」

「いつも家のこと頑張ってくれてるもんなあ。美潮、ありがとうな」

「うん。お姉ちゃんがいないと俺、何もできないし」

 ひょいと持ち上げられた。お姫様抱っことはどうだろうか、一瞬そう思ったけれど、お腹の柔らかいのを感じ、全身の力が抜けた。

「今度の休みは、家の掃除と洗濯と、それから三人で美味しいものを食べに行こう」

「いいね、それ」

 眠りに近い頭で、掃除も洗濯もしなくていいよ、と思った。抱き抱えられている私はまた、体重が軽くて良かった、そう思って、思っている自分におかしくなった。

「いい寝顔」

「そうだね」

 息の多い声をくすぐったく感じた。もっと喋ってくれないかなあ、そう思っていたら右側に触れていた温もりが離れた。寒いよ、と思ったら、重たいものが私に覆い被さった。右側の温もりを思って横を向いた。

「おやすみ」

 真暗になり二人が行ってしまったのを思った。寂しくなり二人の時間を考えた。私がいたところにお父さんが座り、奏太が飲み物でも用意して、それから今日あったことを話したりするのかな、そう考えると、羨ましいなと思った。羨ましく思って、また涙が出た。

 分割睡眠なんか難しい言葉にかこつけて、奏太はお父さんの帰りを待っていたんだろうな。お父さん、夜遅くまでお疲れさま。ありがとう。ありがとう。

 そんなことを思い、美潮、という音を響かせた、お父さんの声で、お母さんの声で。

 美しい潮。太陽のような人、月のような人、様々な人々の気持ちを汲み取れる人になってほしい。そして自分の気持ちに素直に流されてほしい。

「美潮がそこにいるだけで、みんな幸せよ」

 お母さんの声が聞こえた。私は美潮になれているだろうか。お母さんとお父さんがくれた名前が私は好きだ。どんな言葉よりもこの名前の呼ばれるのを聞いていたい。

「おやすみ」

 家族一人一人を思い浮かべた。